明主様の観音運動 (神慈秀明会会員の通勤カレッジ)
「明主様の観音運動」は、明主様・岡田茂吉師の戦前の御教えのうち宗教色の強いものを整理したサイトです。
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「病気の原因は罪穢れ」 (神慈秀明会信徒のHP)
明主様御講話 「病気の原因は罪穢れ」 (昭和10年5月1日)

「人間というものは、健康で働かしむべきものに神様からこしらえてある。

決して病気などすべきものではない。病気するのはよくよく天理に外れたこと、間違ったことをしてるに違いない。
 
それで現代は病気の人ばかりで、健康な人というものは珍しい。

達者で健康ならば結構という。元来病気はあるべきものではない。
 
病気が治らねば、世の中は直らぬ。
 
よく医学を悪く言いますが、医学が悪いのではない。

ありのまま言うと医学ではなかなか病気が治らぬ。

治らぬために種々の方法をとって、機械とか薬がいるのであって、今日の医学の病名とか機械とか、薬の名をみんな覚えるのは不可能のことと思います。
 
本当に治るものならば、たった一つでいいと思う。

なんとなれば、病気の原因は一つですから、その病気の原因というのは罪穢であります。
 
それで、その罪穢を除る機械ができれば、病気はみんな治るのであります。

治す方法は一つなのであります。

その人の弱い所へ罪穢が溜まり病気になるのですから、その罪穢を除る薬なり、機械ができればよいのであります。

それは、薬や機械では除れぬ。

そういうものを作ったら治るかというと、ロボットならば科学で作ったもので治りますが、

もっともっと人間というものは、想像もつかぬ霊妙なものでありますから、

どうしても、人間の肉体の問題は科学より深い神秘的なもので解決せねばならぬのであります。」 つづく

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「大光明世界建設の根本」
明主様御講話 「大光明世界建設の根本」 (昭和10年5月1日)

「いつもお話する、大光明世界建設、病貧争のない世界ということは、いったいどういうふうにすればできるかということになりますが、これについてはその根本があります。
 
なんでも物事には根本があります。

根本さえできれば、枝はほおっておいてもできてしまうのであります。

しからば根本はなにかと言いますと、この世界は人間でなっておりますから、根本は人間であります。
 
人間が立派に完全になればいい。

その根本が立派になればいい。

で、人間は霊と体、精神と身体とでなっている。

それが本当に立ち直ればそれでいいんであります。
 
すると、その根本は人間の精神と肉体、それを健全なものにすることであって、それをどうすればいいかが問題であります。」 つづく

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「観音力は自由自在」
明主様御講話 「観音力は自由自在」 (昭和10年5月1日)

「なぜ観音様は、そういう不思議をなさるかというと、それは観音力はこのように自由自在であることをお見せになるんであります・・・

でありますから、どんなことでもわけないということをずいぶん私はいままで見せられたのであります。
 
その結果、私が観音力の絶対を信じた、病貧争のない世界、あるいは世界統一くらいもなんでもなくできるという確信を得られたんであります。
 
で、これから第二段の経綸の初めになりますから、抱負としてその経綸の一端をお話するわけであります。

梯子段ならいままで一段上がったんで、今日からまた一段昇るのであります。
 
この前、応神堂ができてから応神堂に対し本部ができました。

ところが今度の家は応神堂よりはずっと立派ですから、それに相応して本部ができるんであります。

できるかどうかじゃない、必ずできるんであります。

人間のやることですと、できるかしらということがありましょうが、観音様のやられることですから、必ずできるんであります。

それができると、今度は借りないでも思った通りなものができるんで、だんだん大きく拡がって行く。

これは実に判で押すよりも間違いなく行くのであります。」 つづく

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「新聞配布数と五六七」
明主様御講話 「新聞配布数と五六七」 (昭和10年5月1日)

「今日東光社で、いま新聞売ってる人が三人ありますが、先にはもっとたくさんおったんですが、ほうぼうへ散らしたためにちょうど三人だけ残っているんであります。

それが、今日の売れ方が一人が五十一、一人が六十一、一人が七十一でちょうど五六七となり、みな一部ずつよけいに売れているんであります。

一部ずつよけいに売れたということは、一は初まりであります。いつも言う五六七はミロクですから、今日がミロクの始まりということになるんであります。
 
も一つ不思議なことは、一月から先月まで四カ月間に、御神体を奉斉した方が三百六十二人あるのでありまして、これも五六七の始まりということになります。

かくのごとく実に神秘であります。
 
いままで、新聞を長い間売っておりまして、前にはたいてい『愛善新聞』売ったんですが、長い人は三年も売っております。

ところがそのことはすべて、今日『東方の光』を売る稽古になっております。

今日のように三人行って、五六七という不思議な数字が出たことは未だかつてないことであります。」 つづく

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「五月五日の意義」
明主様御講話 「五月五日の意義」 (昭和10年5月1日)

「また、五月五日ということはたいへん観音様にとって意味があり、私が前に神界すなわち神様のほうの世界の経綸にかかったとき、桃太郎として初めて仕事のため出た日もやはり五月五日でありました。

今度の五月五日もやはり桃太郎の仕事をすることになります。

五月五日の鯉幟(のぼり)は今度の観音会のことの謎であったんであります。
 
鯉というものは出世魚と言って一番出世するものの意であります。

鯉は魚の観音様で、真鯉は鱗が三十三枚あるんで、三十三枚ないのは真鯉ではない。

先に勘定してみたことがありますが、たしかに三十三枚あります。
 
よく巧く行くことを登龍門をくぐるとか、または登龍門を登るとか言います。
 
これは、支那のある川を鯉が昇り、だんだん昇って行くと上流のほうに登龍門というのがあってそこまで鯉が登ると言うことであります。
 
鯉は出世魚ということから、五月五日に鯉幟を祝うのであります。
 
江戸っ子は五月の鯉の吹流し口先斗(ばか)りで腸(はらわた)はなしということがありますが、これも神秘のあることで、私は江戸っ子ですから、口先ばかりで腸はないというほうであります。五月の鯉幟の口・・・

 
観音様がやっておられるとすると、いい方から言えばそれになるから結構であります。
 
観音様は一番位の高い所から一番低い位へ落ちて、それから一番高い位へのぼられるのであります。
 
今年の五月五日から一歩出世したということになります。

これは自分自身で出世したというのではなく、惟神(かむながら)で観音様がそうするんであります。
 
そういうわけで五月ということはたいへんな意味があるのでありますから、今月から非常に模様が変わってくるんであります。
 
観音会はいっそう急速に高く変わってくる。

また、広く信者ができるとともに、また高い所へできてくるわけで、それについて不思議なことがあります。」 つづく

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「玉川への引越し予定」
明主様御講話 「玉川への引越し予定」 (昭和10年5月1日)

「ただいま竹村会長がお話になりましたごとく、私は昨年の今日、麹町平河町へ病気治しによって、大きな経綸を始めたんであります。

そして、今年の一月元旦から観音会を創立しまして、ちょうど四カ月経たわけであります。

それで、そのわずか四カ月間に日に月にと申し上げたいのですが、実は日に日に発展してまいりつつあるのであります。
 
それで、八年前から観音様が種々な仕組みをなされたんでありますが、それがみな五月一日から始まっているんであります。

それで、今年も五月から必ずや一大転換するものと期待していたところが、つい一週間ばかり前までは、ある点は非常に変わらんとしつつあるが、目に見えるなにものもなかったんであります。

すると、ひょっと清水さんが来たとき、家を探してもらいたいと頼んだんであります。

いままで家を探すときは必ず清水さんを働かした。

そうすると必ずあるんであります。

これはまた妙な因縁で、家のことも去年から他の人に頼んだがないのです。

ところが、今度は清水さんに頼んだところ、清水さんは、「待っていました、いつかそういうお言葉があろうかと思っていた、いよいよこれでめっかるんだ」というわけで、さっそく探したんです。

ところが私の希望するような家があったんであります。

ちょっと見ただけであったんで、そんな家が貸家としてちょっと見ただけであるべき家ではないのであります。
 
応神堂の家を探す際には、九尺の床の間があって門構えの家で、家賃は七、八十円の家を探すようにという条件であったんですが、

今度は、地所の高い所で堂々たる立派な家でなければ駄目だと言ったんで、なかなか難しい条件だったんです。

ところが二、三日経って言ってきた。そういう家がそう早くあるわけはないのですが、二、三日前行ってみましたところ思ったよりはいい。

まず申し分のないという家なんであります。ところがそれを先方の言うままにすると、先方で五月一日に契約したいと言うのです。

ちょうど五月の一日から大変したことになります。先刻契約がすんだところで、これもなかなかそういうふうに家を貸すのは非常に偉い。

容易に貸すわけはないのであります。
 
無論竹村さんの御尽力もありましたでしょうが、とにかく非常にスラスラと思ったよりは楽に巧くいったわけなんであります。
 
それで、一日に契約して引っ越すのはいつかと思っておりますと、昨夕観音様からお示しがあって、五月五日に越すように、とのことでして判ったのです。

なるほど五月五日に越さすために、わざわざどんづまりまで延ばしたんだ。

もしか早くすると五月一日に越すところなんですから、観音様のほうで間際に決めさせたので、壁も損じ、変てこな西洋間があって、畳を入れたりほうぼう修繕したりして、ちょうど五日に越すとよいのです。」 つづく

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「お茶漬けの勧め」
明主様御講話 「お茶漬けの勧め」 (昭和10年4月17日)

「西洋医学と日本医学とは、ぜんぜん相反するものにして、その差は日の出ずる国と日の沈む国との差あるほどの相違である。
 
日本と西洋とは、それほどの差があるのである。

私の言葉と医者の言うことと、ぜんぜん反対に行なえば良いのである。

真の健康体を欲するならば、一日一回お茶漬を食すること、お菜は香の物、特に菜葉の漬物が良い。

これを行なえば、諸々の病毒を去り、健康体となることを得る。

特に菜食主義が一番よろしいのである。

肺病または諸々の薬の中毒などを去るにも至極よろしいのである。」

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「現代文明の野蛮性」
明主様御講話 「現代文明の野蛮性」 (昭和10年4月11日)

「たとえてみれば、今日人間はたいへんな進化をした。

なるほど、野蛮未開の時代からみれば、たいへんな進歩をしたんであります。

なるほど、徳川時代には試し斬りとか、切取り強盗などというものがあって、人心は安心して暮らせなかった。

今日は電気などできて明るくなり、なんらそういう心配はなくなった。

それは大いに感謝しなければならぬが、それでも、今日の世から警察とか、法律をとればはたして安全かと言えば、これはだれしもうなずけぬことであります。

各地に厳めしい警察があり、裁判所あり、コンクリートの牢獄あり、各町には交番がいくつもあって、巡査が始終見まわっている。

それでもなお足らず、刑事や特高、探偵などが扮装して隈なく排徊して、種々の取締り機関があって初めて安全を得ております。
 
それでもまだ本当じゃなくて、刑事民事にも種々の設備があり、あるいは人事相談所があり、不幸せな者に対しては、養老院だとか孤児院だとかがあり、あるいは救世軍だの本願寺だなどというものがあって社会事業に尽くし、法律はますます微に入り細に渉りできてゆく。

それで初めて人類は安心しているようだが、それでもまだ安心ができない。
 
昨日の新聞で見ると、少年神兵隊というものが出て、偉い人達、西園寺など国家の元老、ああいう人達の身辺を狙っているゆえ、この間の満州国の皇帝がみえたときでも、お側でお顔が見えぬくらいに警戒が厳重であります。
 
そういうように種々と人間を取り締まる道具は実に完備したと言えるくらいにある。

このために使う費用はたいへんなものであります。それほどまでにしても、まだまだ人間は悪いことをするんであります。

まだまだ法律の網をくぐる悪い人間がたくさんにいるのであります。
 
金を借り倒したり、家賃をふみ潰すとか、詐欺、万引き、強盗、殺人など、それをくぐって悪いことするものがまだまだたくさんいて、子供でも感化院などあり、あるいは宗教的感化をする設備などたくさんにある。
 
それで人間は文明になってありがたいと言っているが、まだまだ神の御目からご覧になれば人間というものはしようがないのであります。
 
種々とおっかない道具立てをして、わずかに悪いことをしないようにしてるだけのもので、ちょうど、虎狼を檻に入れて監禁しておくに等しいと思うのであります。

これで万物の霊長だなどといばっているのは恥ずかしくないかと思うのであります。」

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「観音力は人類を進化させる」
明主様御講話 「観音力は人類を進化させる」 (昭和10年4月11日)

「それでいっぽう、精神方面のことをお話すれば、本当は他宗の攻撃するなどよくないのですが、よくないけれども黙っておってもしかたない。

黙っておって解決すればいいのですが、黙ってばかりいても解決がつかぬ。

やはりいいことはいいとし、悪いことは悪いとせねばならぬ。
 
それは、たしかに既成宗教によって救われてる点はたくさんにあります。

もし釈迦、キリストが現われなかったならば、もっともっと人類は悲惨な状態になっていたかしれない。

いかに今日まで人類を救ったことか、その点は大いに感謝しなければならぬ。
 
で、それでも今日のこういう社会を結構と思う人はない。

それはどこまでもよくしなければならない。

進展やむなきは神の御心であります。

でなくば、宇宙意志とも言えます。
 
人類はこれまで進化したけれど、もっともっと、よりいっそう高等の文化をつくり、高等の人類にしなければならないことは当然のことであります。

でいままでの宗教の力ではそれ以上高等にはならない。
 
それには、それ以上に人類を進化せしむべき力がいる。

それが観音力であります。」 つづく

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「健康を解決し得るものでなくしては本当の宗教ではない」 (神慈秀明会信徒のHP)
明主様御講話 「健康を解決し得るものでなくしては本当の宗教ではない」 (昭和10年4月11日)

「私は日本医学というものをこしらえることと、それから、宗教の本当のやり方、本当の考え方そういうものをだんだんと発表してゆくつもりなんであります。
 
で、なにが人間は結構であるかというと、まずなによりかより第一番に健康であることは、いつもお話することであります。

たとえ、いかなる結構な宗教や救いが出ようとも、人間を健康にする力がなかったら、決して結構な宗教でも救いでもない。
 
どんな偉い方でも、どんなにいい身分であっても、病気で苦しんでいてなにが結構と言えましょう。

どうしても健康を解決し得るものでなくしては、本当の宗教ではない。

何年何十年と信仰していても病気で早死にするものがありますが、それは決して本当のものではない。
 
だんだん観音会が進展して行くと、観音会には病気がない。

もしあれば、観音会を止めた人か、お邪魔する人かで、病人はないと私は断言するんであります。

これがだんだん拡がって行くと、病人のない団体ができるんで、おそらく世界始まって以来病人のない団体というものは、まだ聞いたことがない。

それで病人のない世となれば、貧乏の半分は解消するんであります。
 
いま貧乏の原因はほとんど病気で、病気のために稼げぬとか、病院は高くてなかなか治らぬ。

金持ちならいいが中流以下ではとてもかかれぬ。

重病などになると、まず長い間稼いだものさえも潰れてしまう。

少し重い大病などがあればたいていの身上だったらふっ飛んでしまう。

これは多くの人々のふつうの道程であります。
 
今日みなさんが稼いで貯金するのはなんのためかと申しますと、いつ病気になるか判らぬ。

病気になったそのとき病院へ入れぬようなことがあったらという心配からであります。
 
それで病気は金で治ると思うよりしかたがない。

一家に四、五人の家族があるとすると、たいていは何年目かに病人がある。

するといくら稼いで貯金をしててもすぐになくなる。
 
そこで、病気がなくなり健康であれば、貧乏になる大半は救われるわけであります。

で、貧乏が救われれば争いがなくなる。

たいていの争いは経済上の問題の場合が多いのであります。

ですから、まず病貧争の大部分は健康から解決できると言っても過言でないと思います。」 つづく

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神慈秀明会の東京支部の信徒のブログです。

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「戦場ケ原に一大神殿が建立される」
明主様御講話 「戦場ケ原に一大神殿が建立される」  (昭和10年4月5日)

「いよいよ大光明世界を建設するのは、二十五年くらい後のことにして、これは世界統一の時のことにして、日本だけなれば、まだ早くできるのである。
 
日光東照宮を型として戦場ケ原に一大神殿が建立される。

その柱のごときは、大理石の丸柱の上に金にて龍などを書きたる雄大なるものにして、その時分になれば、金などなにほどでも出るのである。

地軸は金の柱にて、直径十里くらいは太さがある。

これをもってしてもなにほど今後において出るか判らんのである。

この時のことを祝詞に書いてあるのであって、瓦のごときも金なのである。

「多宝仏塔聳(そそ)り建ち 七堂迦藍は霞みつつ 黄金の甍燦燦と」とあるごとくに事実なのである。

戦場ケ原は海抜四千尺の高原にして、三里四方平面の地にして、川あり滝あり、実に立派な所である。」

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「天津金木について」
明主様御講話 「天津金木について」  (昭和10年4月5日)

「天津金木(あまつかなぎ)は、天照大神様が押し込められしためお身代わりとしてお作りになり伝えられたるものにして、これが判れば、森羅万象すべてのことはみな判るのである。

されど、いま書物などによってこれを知ることは絶対できないのである。

昔は口伝えにより伝えられ、稗田阿礼(ひえだのあれ)まで伝えられた宇宙の魂のごときものである。

私は、浦和にて古文書を見たるとき、霊感により知ったのである。

私は五十万年以前より五千年前までの歴史を知っているのである。

それは、神憑りになったとき知らされたのである。


昔の古い文書は神武天皇がお焼きになってしまったのであるが、そのとき、一人の家来が一部の物を持って逃げ、これを隠して土の中にいけ込んで置いた。

それが今に伝えられた。

これは、武内宿禰の家に伝えられ、例の天津教の武内家にあるものにして、

武内家には、その中にあった三種の神器の本物を持っているのであるが、

宮内省に献上しようとしたとき宮内省では受け付けなかったのである。」 つづく

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(天津金木の画像。原典にはこの画像はない)

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「観音様とお釈迦様の御関係」 (神慈秀明会信徒のHP)
明主様御講話 「観音様とお釈迦様の御関係」 (昭和10年4月4日)

「観音様が布咀落迦山(ふだらかさん)にお降り遊ばして、南海大士と申されておられた時のことである。
 
お釈迦様がお訪ねいたしていろいろお聞きになり、初めていままで知らなかったこと、また悟れなかったことをうけたまわり、本当の悟りに入られたのである。
 
この時よりお釈迦様は、「見真実」となられた。

しかし、このことは時の来るまで発表することを許されないことなので、

致し方なく法華経をその後お説きになられたが、ただ一部分を明かすのみにて止めたのである。

最後の世に現われて、光明世界をお建てになる方は、観音様であることも判ったけれども、

これも発表することができなかったために、普門品(ふもんぼん)を説かれて観音様を礼賛されるに止められたのである。
 
仏が滅することもすべて知られたるために、「仏滅の世が来る」とお説きになり、この世は火宅だなどと申されたのであるが、

その実は、仏の時代のことであって、一度観音様がお越しになれば、この世は救われることもご存じになられたから、時期の来るまでを仏教により少しでも善いほうへ導くようにと弘められたまでであって、

仏教は永久的の教えでないことは、これを見てもよく判ることであって、お経もすべて一部ずつを判らしたのである。」

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神慈秀明会の東京支部の信者のブログです。

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「祝詞の文言について」
明主様御講話 「祝詞の文言について」 (昭和10年2月11日)

「今度の祝詞の中にある大千三千世界と書いてあるのも、いままでの三千大千世界となっていたのを逆にしたのであって、これは非常なる意味がある。

大千のセンはスとなる、オスの意味にして男のことである。

また、大のオオは王ともなる。

三千はミスとなり、メスとなり、女の意味である。

これはいままで女が上で男が下であったことになるのだ。

嬶(かかあ)天下の意味にしていままでの逆の世の言葉である。

いよいよ時節が来て大千三千世界となり、男が上になったのである。

釈迦とはサカの意味にして逆である。

神様へ榊(さかき)を上げることも逆の木を上げたことで、逆の世を表わしているのである。

南無阿は間違いであり、南無妙も間違いで阿無南、妙無南とならねばならぬのである。

要するに、いままでの仏教は間違いであるから、止めようということになるのだ。

南無阿とか、南無妙とか称えることは間違いの世を謳歌することになるので、われわれとしては絶対に止めねばならぬ。

南無という字は決して使用することはいけないことになる、心すべきである。」

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「黄泉津比良坂の戦い」
明主様御講話 「黄泉津比良坂の戦い」 (昭和10年2月11日)

「三千年の桃の実とは西王母のことにして、現界の歴史である。

仏教では胎蔵界という。弥勒の出現の時まで五六七を胎蔵していたのである。

西王母は聖王母とも書く、伊邪那美尊のことである。

いままでの世界は、伊邪那美尊の御経綸である。伊邪那美尊は西の経綸である。

西王母より生まれて、いよいよ桃太郎となる。千手観音は桃太郎のことである。

たくさんの宝を取るのは、千手観音の手にたくさんの宝を持っている。

あれはいままでの世界の物はすべて鬼ケ島の鬼が支配しておったのを取り返したこととなるのであって、いままでのあらゆる権力を鬼が持っていたのである。

今後鬼が改心することになるのである。

桃太郎に出られてはとてもかなわないと言って降参するのである。

いままでの支配権は(支配権といっても霊的である)鬼が持っていたのを、いよいよ奉還するのである。

尉(じょう)と姥(うば)とで世界の大掃除をいたすことである。

黄泉津比良坂(よもつひらさか)の戦いは鬼と桃太郎の戦いである。

桃太郎は桃の実である。千手観音である。

応神堂の千手観音のお顔は若いが、あれは桃太郎の顔である。

黄泉津比良坂の戦いは、一番初めは明治神宮の参道九鬼隆二子爵の家に行ったことである。

青山隠田百一番地で、百一番は「桃のはじめ」ということ、九鬼とはたくさんの鬼のことである。

その戦いで勝って如意宝珠(にょいほうしゅ)の玉を夫婦で持ってきてくれた。

いまでもどんどん第二、第三、第四と戦っているのである。

麹町へ出たのは、鬼ケ島の真ん中へ出てきたことである。

桃太郎は最勝妙如来(さいしょうみょうにょらい)である。

必ず勝つのである。桃は三月三日に咲いて五月五日に実る。

五月五日の鯉のぼりのことは非常なる意味がある。

鯉は魚の観音である。真鯉の鱗は三十三枚である。
 
常磐津や長唄などには神秘がたくさんある。

これは神様が準備しておられたのである。

観音宗とか観音教とかいう宗教のいままで出なかったのは、また神様が取っておかれたのである。」 つづく

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「出口王仁三郎師の現在の働きは大六天の魔王」 (神慈秀明会信徒のHP)
明主様御講話 「出口王仁三郎師の現在の働きは大六天の魔王」 (昭和10年2月11日)

「北○は盤古神王(ぱんこしんのう)系にして、南○は大自在天系なり。

南○より出たる出口王仁三郎は大自在天にして、いまの働きは大六天の魔王なり。

それで大悪魔にはあれども、岡田仁斎先生を産みたるは、大悪魔の悪業を償いて余りある大功あれば、今後において改心すれば、また救われて元の霊魂に復帰することを得るなり。


素盞嗚尊の霊魂なり。

月は水なれば阿弥陀も水なり、阿弥陀仏を今において拝む者は、体中冷ゆるは当然なり。

日は火なり、観音様は日の神様なれば、冷ゆる人が観音会に入会して、観音様を拝めば冷も去り暖かくなるなり。

月は阿弥陀仏にして大自在天なり。

さればこそ六にして中界の魔王となるなり。

大六天の魔王とはやはり六なればなり。出口王仁三郎なり。

また、猿田彦命が中界の魔王となるという大本教のお筆先あり。

これもこの意味なり。猿田彦命は手力男命となる。

昭和神聖会はこの働きなれば大六天の魔王の活動となるなり。

すなわち、出口王仁三郎の主催なればなり。

釈迦は悪少し、すなわち教祖様の意味となる。

天若彦は七の霊魂なり。教祖様の夫なればなり。」 つづく

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「満州は日本の生命線」
明主様御講話 「満州は日本の生命線」 (昭和10年2月11日)

「国際連盟の問題の時、満州を日本が武力で取ったと言ったが、国際連盟の人達は、自分の国ではたくさんの植民地を持っているのはなんだ。

みんな武力で取ったのではないか。

日本は満州が日本の生命線であるから独立させたのだ。

また、現在でも武力で圧えつけているではないか。

インドなどでも少し騒動すれば、たくさんな軍隊がどんどん虐殺する。

日本で取れば文句をいう。実におかしいではないか。

日本の満州を取ったお手本はだれだと聞きたいのであります。

悪人の出る根本はだれだ、やはり自分達の行動からではないか。

これがごまかし世界のごまかし世界たる由縁であります。」 つづく

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「悪を無くには支配階級の改心が必要」
明主様御講話 「悪を無くには支配階級の改心が必要」 (昭和10年2月11日)

「悪の出る根本はどこにあるか、これは、支配階級が正しい行いをするのが根本であります。

宗教家や政治家は、良いことをせねばなりません。

上流が濁れば下流が濁るのがあたりまえであります。

すべて源にあるのであります。

源の人間が本当の働きをすれば善いのであります。

ところが、いまの上流は、それをやるのが嫌なのだ。

妾を置いたり、芸者買いをやったり、女子に手をつけたりする、こういうことが止められんのであります。

根本を良くするのが嫌なのであります。
 
政治家も神様を祭り、政治を行なう前に、まず神を拝んで、しかるのち行なえば良い政治ができるからよいが、待合や料理屋でやらなければ、会議ができん。

乱れているから本当のことができません。自力更生、農村救済などといろいろなことは言うが、農民が気の毒だから救わねばならんとすれば、

まずもって料理屋で食っていたのを三十銭くらいの弁当にするとか、まず第一に、自分らが率先してこれを実行すればよいのであります。

世の中の人も競ってこれをまねるのであります。

凶作地の話を待合でやるのでは問題になりません。

何千坪かの邸宅を構え、祖先の関ケ原の戦の功名で公爵になり上がっている人達が、教化運動の総裁でやっているが、自分の行いを改めずに、人に行なわしても駄目であります。

悪人ができるのはあたりまえであります。

支配階級の人が、自分達の行いを見せてくれて、世の中の人も見習うことで、納得するのであります。」 つづく

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テーマ:心霊 - ジャンル:サブカル

「社会事業もごまかし」
明主様御講話 「社会事業もごまかし」 (昭和10年2月11日)

「救世軍が年の暮れに鍋を出して、正月の餅を配ることをやり、また、不仕合せの者、罪人などを救うというが、

その根本にさかのぼり、不幸な者ができんようにするのを考えないで救うと思っても根本から出ぬようにしなければ、これは根絶することもできず、

いつまでやっても際限のないことになるのであります。

救うのも必要だが、このような不幸な者のたくさん出ぬようにするのが一番良いのであります。

社会事業は箆棒(べらぼう)だ、いっぽうで不幸な人を造り、それを救うのであります。

それが出ぬようにするのが本当なのだ。

これがごまかしの世界なのであります。」 つづく

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テーマ:精神 - ジャンル:サブカル

「悪人正機説はごまかし」
明主様御講話 「悪人正機説はごまかし」 (昭和10年2月11日)

阿弥陀は悪の働きをしていた

「親鸞の言った、「善人は救われる、況んや悪人をや」と言うことがあるが、これを聞いて信者がみな喜んでおりますが、これがごまかしの傑作であります。

これ故に霊界にたくさんいる悪魔が、世の中を悪化するように出てきて、この連中に憑って活動するのでありまして、世の中を悪くする悪魔の仕組みであったのであります。

この通り阿弥陀の悪の働きをやったのでありますが、それも天地経綸の重要なる悪の役割をしたのでありますが、結局、これも善になるのであります。

阿弥陀の陀の字が非常に悪の働きとなるのであります。陀の字のこざと偏を虫偏にすれば蛇になります。

これをもって悟れば良いのであります。

今度は阿弥陀様が改心するのであります。

マッソンをこしらえたのは、奥の院に阿弥陀様が祭ってあったのであります。

いままでは、観音様より上にいて人々に拝ませていたのでありますが、阿弥陀が下に降って観音様より下になれば、五六七の世となるのであります。

このような例はなにほどでもたくさんありますが、善悪を判らないようにしていたのでありまして、南無阿弥陀仏を称えさえすれば、悪も救われるというが、これが悪人を作ることが多くなるのであります。

できた悪を救うよりも、悪を最初から作らんようにするのが、本当の教えであります。

このように根本がたいへんに違うのであります。」 つづく

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テーマ:霊視 - ジャンル:サブカル

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